【セブ島大打撃】台風22号ODETTEがセブ島を直撃しました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、昨年、2021年12月16日に巨大台風22号

台風の名前、Odette(日本ではRai)がセブ島を直撃しました。

 

この台風の直撃で大きな被害をセブ島全土で受けることになりました。

 

1ケ月経過した今、今回の台風の様子などについてお話をさせて頂きたいと思います。

 

■誰も今回の台風がここまで大きな被害を及ぼすとは予想していなかった

 

今回の台風は、正直、ここまで大きな台風であり、ここまで大きな打撃をセブに与えるとは

正直、誰も思っていませんでした。フィリピン人ですら予測している人などいなかったと

思います。

 

何故か。

 

台風当日のお昼頃までは多少の雨が降っており、風もやや強めという、台風を感じることなど

一切ない天候でした。その時に台風の強さを表す数字はレベル3。

 

つまりは、いつもの台風と変わらない、大したことは無いと思う人ばかりだったのです。

 

普通にこの日は働く方も多かったと思います。かく言う私も普通に働いていました。

 

夕方頃になっても状況としては大きく変わることはありませんでした。またこの時期は、

クリスマスも近いという事で、多くの人々がクリスマス準備のためにスーパーなどへも

行き、台風に備えるための物資ではなく、クリスマスを楽しむための食料などを

普通の購入をしていました。

 

ここで台風に備えて物資を準備していた人もいたかもしれませんが、準備をしていた人と

準備をしていなかった人の1つの分かれ目にもなったと思います。

 

ちなみに、私は準備をしていなかった側になります。後々、非常に苦労することになる訳です。

 

そして、もう1つ、多くのフィリピン人も今回の台風がここまで大きくなるとは思っていなかった

のは過去の経験です。ここまで大きい台風が是部を直撃したことは歴史を見てもそうありません。

平均年齢が若いフィリピン人は、近い過去の経験もまだ知らないという方が多い訳です。

 

更には、今までの台風の多くは確かにフィリピン近くで発生はするのですが、台風の卵の

ような状況で発生し、それがフィリピンを通過、フィリピンを通過する当りで徐々に

勢力を増し、日本などを襲う。つまりは、日本を襲う台風の勢力よりは、非常に小さい

というのが日常だったわけです。

 

それもあり、ここまでの勢力となるとは思わなかった、私自身も正直、甘く見ていました。

 

■今回の台風の怖さを知ったのは夜の20時頃

 

今回の台風の本島の強さ、そして恐怖を覚えたのは夜の20時前後だと思います。

 

気が付くと、殴りつけるような大雨、そして、どんな建物でも壊してしまうのでは??

と感じさせるほど恐怖な音を轟かせる物凄い強い風。

 

この大雨と風が2時間程度続いたと記憶しています。自宅にいてもこれはマズいなと

恐怖を感じていたのは事実です。

 

そして、突如、やはりその恐怖を現実とする停電が始まりました。いきなりでした。

 

しかし、私が現在住んでいるコンドミニアムにはジェネレーターがあったので電気は

過ぎに回復、いや、停電と回復を繰り返していました。その為、まだ電気が利用できる

状況でもあったので、私の恐怖心は、そこまで強くはありませんでした。

 

ただ、その次の瞬間です。雨・風は引き続きものすごく強かったのですが、窓の外を見ると

至る所で電線が崩壊しているのでしょう。青い稲妻のような光が見れます。これは本当に

マズい、、、そう感じました。更にその瞬間、お部屋の中にある埋め立て式のエアコンが

風の強さで部屋の中へ戻されて落ちてきました。

 

つまりは、エアコン部分が完全に窓がない状況になったわけですが、そこへ大雨・風が

どんどん部屋の中へ入ってきます。これは非難をしないとまずいという事で、食事中でしたが

そのままの状態で1階のロビーまで階段で非難をしました。

 

もうこの部屋には少なくても今日は住むことはできないと思っていましたので、どこかホテルを

探さなくてはいけないとも思っていました。

 

■22時頃ようやく落ち着く

 

22時頃だと思いますが、ようやく雨・風が収まりました。私はロビーから部屋へ戻り、

荷物の準備をして、どこかホテルへ向かおうと準備をしようとしていました。

 

お部屋へ戻って驚きました。至るものが地べたへ落ちていました。風の影響です。

お部屋の中は正直、無残な姿で大掛かりな掃除は必須でした。

 

しかし、今は掃除をするのではなく、先ずは非難という事でそのままの状態にし

必要な衣類、PC関係をまとめて外へ出る決意をしました。

 

ちなみに、私がコンドミニアムのロビーへ悲惨をしている様子、台風の勢いがまだまだ

激しい様子は以下の動画をご覧ください。

 

■町が壊滅していた12月16日の夜

 

荷物をまとめた私は、荷物を持って改めてロビーまで階段を利用して下りるわけです。その時点で

電気はありませんでした。

 

ジェネレーターはありましたが、恐らく、ジェネレーターを動かすガソリンが無かったの

でしょう。

 

私はロビーから外へ出る決意をしたわけで、その際には、ロビーにはコンドミニアムを管理

している責任者の方も到着しており、少しだけ立ち話をしました。

 

どこへ行くんだ??と聞かれ、お部屋が酷い状況なので、今晩はホテルへ宿泊することを

伝えました。責任者の方は、その方が良いとも言っていました。電気が無いからです。

 

コンドミニアムはロビー含めて半壊状態、そして道路へ出ても電気が無いので、真っ暗。

本当に道路を歩くにしても怖かったのを覚えています。

 

しかし、ホテルさえ見つければ、ジェネレーターはあるはずなので今晩しのげると

期待をしていました。

 

ホテルまでの道のりは大変です。道路は冠水、たくさんの木々が倒れ落ちており、

歩くのも大変な状況、そして、色々なお店なども半壊・全壊状態です。恐怖を

改めて感じました。

 

■ホテルも宿泊できる状況ではなかった

 

近くにあるアリシアアパーテルというホテルへ到着しました。このホテルは料金も

安く、お部屋の中にもキッチンがあるため、数日の滞在でも問題は無いと思いまして

選んだわけです。

 

しかし、このホテルも半壊状態でした。とてもじゃないですが、宿泊できる状況

ではありませんでした。一番上の階のお部屋は窓ガラスも全て壊されていました。

 

マズいな。。。。次に選んだのはヘンリーホテルです。もう遠くまでは移動したくないので

とにかく近くにあるホテルへ移動をしたかった。

 

しかし、このホテルも宿泊ができる状況ではありませんでした。

 

 

こんな感じになっていたんです。これでは宿泊は無理ですよね。その後は、バイクタクシーを

運よく探すことができてですね、東横INNホテルまで行ってもらいました。しかし、ここも

宿泊は無理でした。もちろん、既に予約をしてあり、チェックイン済みのお客様は宿泊は

できています。

 

新規での宿泊客を拒否しているという意味になります。この、東横INNホテルは何故宿泊が

出来なかったのか、それは、Jモールというモールに併設されているのですが、このモールが

一部火事になっていました。

 

私がホテルへ到着した際には、多くの消防車でいっぱい、とてもじゃないですが、中へ入れる

状況ではありませんでした。

 

こんな感じで火災が生じていました。

 

結果、私は家に戻る決断をしました。これではホテルへの宿泊も無理、時間だけが無駄に

なると思いました。

 

家に戻った私は、早速、片付けのスタートです。まあ、酷い酷い状況のお部屋です。

 

雨もたくさん入っており濡れています。勅滋や調味料なども地べたへ落ちており、瓶なども

壊れたりもしています。全て、ダメな物は捨てるという事で、ゴミ袋へ入れ、その後、モップがけを

しました。

 

最後はエアコンです。ベッドの上にエアコンが落ちてきて、まあ、外にむき出し状態で

あったエアコンな訳なので、汚い訳です。そして重い。。。。

 

早速、メンテナンスを呼んで一先ずエアコンを元の場所へ戻しました。もちろん修理は必要

ですが、今はとにかく今日寝るベッドの確保が優先。。。エアコンを戻し、汚れてしまった

ベッドシーツなどを全て取り替えました。

 

そして、何とかこの日は家で寝ることができました。

 

■セブ壊滅をまじかにする翌日

 

翌日、台風の様子が気になった私は早速、外へ出て被害状況を把握することに

しました。その際の動画もありますので、宜しければご覧ください。

 

 

酷い状況です。こんなにも大きな台風だったのかと衝撃受けました。

 

■台風の準備をしていなかった代償

 

食べ物は冷蔵庫に少し残っていたので、それほど危機感を感じず、周りの台風被害の

事を一番に考えていた私ですが、すぐさま、自分自身も大変な状況におかれているのだと

気づかされました。

 

幸いにも電気はコンドミニアムのジェネレーターがあり、24時間という訳ではありません

でしたが、朝・昼・夜の食事時間に合わせて頂く形でコンドミニアムの方も用意を

してくださっていましたので、不便ではありましたが、頑張れるという気持ちはありました。

 

それよりも、よりになるとお部屋から見える周辺が全く電気梨の状態で真っ暗な訳です。

その様子を見ているのが怖かったです。

 

さて、私自身が準備をしていなかったことでマズいと感じたことは大きく2つです。

1)現金がない

電気が無いという事で銀行のATMも利用ができない、そして、スーパーなども徐々にですが

OPENしていますが、クレジットカードにアクセスするためのWIFIも電気が無いからでしょうか、

コネクトができないため全て現金のみでした。。。

 

どうしましょう。。。。ATMでも引き出せない、カードは使えない。しかし、現金が無いと

何も買えないという状況。焦りますよね。

 

しかし、何とか、日本から現金を送金お願いし、フィリピンで受け取ることができる場所を見つけ

ました。ラッキーでした。現金を私は手にすることができたのです。これATMでは難しいのです。

日本からの送金という方法が良かったのです。

 

ATMでも引き出しは台風直撃後、2週間以上は難しかったと思います。どのATMを見ても

長蛇の列、そして、5・6時間は引き出すのに時間がかかっていると言われていました。

 

2)水です。

 

ここで言う水は飲料水です。コンドミニアムは幸いなことに水道水は利用ができました。

つまりは、シャワーも問題ないですし、トイレも大丈夫。食器なども洗うのは問題無し

という事でした。

 

しかし、飲み水だけは探せなかったのです。何故か、、、、電気が無いので水を作る会社の

製造工程が全てSTOPしているためです。少しだけストックがあったので、しのぐことは

できていたのですが、水は本当に探すのが大変でした。もちろん、スーパーへ行っても既に

水はありませんでした。。。

 

そして、私の場合はまだいい方で、一般のフィリピン人が住む家庭では飲料水はもちろん、

シャワーなどの水も利用ができない状況でした。その為、多くのフィリピン人は、水を提供

して下さる工場などへ大きなタンクを持っていき、水を得ていました。この水もあくまでも

飲料ではなく、食器などを洗うための水です。

 

私の方で不便を感じたのは、現金とお水です。しかし、道を歩いていて感じたのは他にも

多くの物資が不足しているのだと感じました。

 

例えばガソリンです。ガソリンも不足しており、至る場所で長蛇の列です。ガソリンを運ぶ

トラックなども運転手さんなどがまずは自分の家の修理などにフォーカスをされているため

人出不足、更には電気も無いので営業自体も難しい、更にはガソリンステーションも半壊などの

被害はあるわけで。。。。

 

車、バイク、バスを所有している方もガソリンの確保には相当苦労されたと思います。そして、

このころにはジェネレーターも至る場所で売り切れ状態だったんです。つまりは、

ジェネレーターにもガソリンが必要で、ジェネレーターを利用する方もガソリンを購入

するのは相当大変だったと思います。

 

■1ケ月が経過した今でも大変な場所がある

 

私が住んでいるセブ市内は電気が開通したのは2021年中に戻りました。ありがたかったです。

 

しかし、このころはクリスマスや新年を迎えるニューイヤーのイベントも控えています。

 

私は電機などが開通し、周辺のお店などもノーマルな状況へ戻っていたので、良かったわけ

ですが、しかし、それでも、まだまだ多くの場所では電気が開通していない、水もない、

家も無くしたという被災したエリアが多く存在していた訳です。

 

私は、その方々を支援しなくてはいけないと決意を決めたわけです。先ずは調査です。

 

私はNPOなどの団体でもないため、支援を他から得るのは難しいと思ってました。

自分自身出来ることは限られているわけです。つまりは、本当に被害を多く受けた場所、

人へ、必要な物資を支援する必要があるわけです。

 

考えました。どの場所が一番被害を受けているのか。。。その場所へピンポイントで

支援をする必要がある。そして、他の団体さんと重ならない場所へ支援をする必要が

あるという事も考えました。

 

先ず私が決めたのは、スラムなどを外すという事でした。何故かと言いますと、勝手な予想で

スラムなどのエリアはNPOさんなどの団体がまずは支援をされるだろうと予想をしていました。

逆に私は、台風翌日に色々と歩き回り感じたことは、一般のフィリピン人で一瞬で家を失った

この様な人々の方が精神的な大変だと思ったわけです。

 

何故ならば、彼らはサバイバルをした経験が少ないからです。家を失った、出禁を失った、

水は無し、現金も無い、、、どうして生きていくのか。。。。こう思うのは当然では

ないでしょうか。

 

だから私は、一瞬で家を失い、今でも大変な生活を強いられている場所を探すことにしました。

 

調べてみると分かったことは、セブ島のリゾート地、マクタン島の方が被害が大きいという事

です。これはマクタン島にまずは絞ろうと思いました。

 

そして、どのエリアにしようかと調べました。この情報は日本語で調べても見つかりません。

やはり日本語の情報は日本人が知っているエリアが主なためですよね。

 

英語で調べましたよ。そしたら出てくるわけです。悲痛な声が。。。。

 

私が選んだ場所は、マクタン島にあるIBOというエリアです。理由は、SNS上での

メッセージでした。

 

「ここには多くの人が写真や動画を撮りに来る。しかし、それだけだ。今自分たちが欲しい

必要としているのは食料だ」という声です。

 

一発でこの場所に決めましたね。

そこからは支援のための準備です。支援は第一陣、そして第二陣の2回に分けることに

しました。

 

理由は、その日その日で何が必要か変化するためです。その為、第一陣で用意したものは

お米・非常食となる缶詰とインスタントラーメン、そして、子供たちも多数いるので、

子供たちのためのお菓子、そしてスパゲッティです。スパゲッティは調理をしてお弁当

形式で用意をしました。

 

何が大変だったかと言えば、スパゲッティの調理もさることながら、支援物資を運ぶ

車です。相当な量なので、普通の車では無理なんです。色々なレンタカー会社含めて

連絡をしました。道端へも出て、相応の車のドライバーにはお声がけをし聞きました。

 

しかし、料金は滅茶苦茶高い。片道1時間の場所ですよ。しかし言われるのか片道で

2000ペソ。。。約4000円です。なぜそんなに高いんだと。。。理由も説明しました。

困っているフィリピン人への支援物資を運びたいんだと。同じ国民として協力して

くれないか、もう少し料金を安くしてくれないか。。。。しかし、料金が変わることは

ありませんでした。

 

皆さん、お金に困っているのは分かりましたが、それでも、2000ペソは許容範囲を

超えています。

 

しかし幸いにも1000ペソで運んでくれるドライバーを見つけることに成功。第一陣の物資は

その方と一緒にIBOエリアへ向かいました。

 

途中、バランガイ(最小単位の行政)へもお伺いし、支援物資を直接届けたいので、

アシスタント(グチャグチャになるのを避けるため)をお願いしました。快く了解得ました。

 

 

IBOエリアは、こんな感じです。海沿いにあるというのも理由でしょうけれども、多くの

家が一瞬で無くなったのが分かるかと思います。彼らはサバイバルをしなくてはいけない

人々でした。どうやってサバイバルをして行くのか、本当に大変な毎日だったと思います。

 

第一陣の支援物資を届けた様子は動画にしています。以下よりご視聴ください。

 

第一陣の物資の配布を終え、声を聞きました。何が一番いま必要なのか。真っ先に聞こえたのは

水でした。飲料水です。

 

私は決めました。第二陣では水を何とか確保して届けるという事を。

 

すぐさま、第二陣の準備を開始します。しかし、水を確保するのが全くと言っていいほど

難しい訳です。

 

誰かに相談をしても時間だけが経過する日々。とにかく、足を使って探すしかない。

本当に色々な場所へ行きました。

 

ようやく、130世帯分だけになりますが、水を用意することができました。これでようやく

水を届けることができる。そう安心したことを覚えています。もちろん、水だけではなく、

お米、缶詰、インスタントヌードル、お菓子です。子供たちのためのお菓子は絶対でした。

 

今回は、事前にバランガイへも許可を得まして、バランガイの車も借りることができました。

助かりました。

 

バランガイの車が迎えに来てくださいまして、食料を詰め込みIBOエリアへ再び向かいました。

 

今回は事前にバランガイの方へ水を持って行くことを伝えていました。そのバランガイの方も

IBOの住人へ支援が来ることをお伝えしてくださっていたのでしょう。指定の場所へ到着後、

多くの人々が列を作って待っていました。

 

しかし、私は申し訳ない気持ちにすぐになりました。理由は、全く足りないという事です。

 

そこで、申し訳ないのですが、子供がいる家庭、妊娠中の家庭、シニアの家庭などを優先して

お渡しをさせて頂きました。あっという間に無くなったのです。本当に申し訳ない気持ちで

いっぱいでした。

 

第二陣の支援の様子も動画にまとめています。

 

■支援を準備している最中に感じたこと

 

何とか支援の配布を終えることができたわけですが、ここで私が準備をしているときに

感じたことをお話したいと思います。何も支援の準備だけではなく、台風後の生活を

していく上で感じたことにもなります。

 

まず感じたことは、フィリピン人は冷たい。正直、この一言です。もちろん、全ての

フィリピン人が冷たい訳ではありませんので、誤解しないようにお願いします。

 

では、何故、私がそう感じたのか。

 

1)とにかく値上げをして高く販売する

何を買うにしてもこの時期は大変でした。お水はもちろん、卵などもそうです。何でも品薄

だったんです。しかし、生活に必要であれば買うしかありませんよね。

 

しかし、物凄く高い訳です。お水は通常の2倍・3倍。。。。卵は1個20ペソで販売している

お店も見ました。食パンも品薄で、まとめ買いをして道端などで購入した価格のやはり1.5倍など

で販売している人も多数います。

 

なんだこれはと。。。困っている人がい居れば、少しでも助ける。これがフィリピンの良さ

ではなかったのか。しかし現実には、この時期に不足品を集めて高値で商売をする。。。

この様な様子をたくさん見てきました。

 

2)協力をして下さる方も少ない

 

第一陣の支援物資の際の車です。理由を説明しても困っている人は自分には関係ない。。。

この時宇はセブ市はある程度、普通に戻っていたんですよね。つまりは、自分自身は

マクタンの人のように困っているわけではないと個人的には思っています。

 

しかし、とにかく高値商売の連続です。

 

何だか、心が複雑になった瞬間でもありました。そして、あろうことか、心が折れたのは

第二陣の支援物資配布が終えたころ、1台の携帯を盗まれました。道を歩いているときに

盗まれました。

 

もちろん、盗まれる私も悪いわけです。しかし、良いことをしたのに、盗まれる。。。。

寂しくもなりました。

 

■台風から1ケ月が経過した今

 

台風が経過し1ケ月が経ちました。今思えば早かったですね。今の私が考えている事を

最後に。

 

先ず支援ですが、継続していきます。特に今でも大きな被害が残っているマクタン島。

ここをメインで支援の継続をして行きます。

 

そして、自分自身としては前向きにもならないといけないと感じています。

コロナウイルス問題、台風など、全く良いことが無いことばかりでした。しかし、

ネガティブになっていても仕方がありません。

 

仕事も頑張り、ジムやプールなどもOPENしましたので、健康体も目指して

ポジティブに頑張っていきたいと思います。

 

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